心の闇 / アザラシさん
―「父上、母上…」
林の中、少年は両親の亡骸の前で泣いていた。
両親は夜盗から少年を庇って亡くなった。
それから少年は非力な自分を責めた。ずっと、ずっと…
―「夢か…」
障子から光が入ってくる。
眠りから覚めた光秀は身支度を整えるとすぐに信長のもとへ向かった。
光秀は向かう途中、夢のこと忘れようとしていた。
(あれは夢、単なる夢でしかない…)
光秀はなぜかつらい表情をしていた。
しばらく経った後のこと…
「最近の光秀様、何か暗くないですか?」
光秀の重臣である利三が言った。
「そうか、じゃぁ、あの日が近くなったってことか」
同じ重臣である秀満が言った。
「あの日とは?」
利三の頭に疑問が浮かぶ。
「お前は知らなくて当然だよ。光秀様の両親が亡くなられた日だよ。
ちょうどこの夏の時期にまだ幼かった光秀様は両親を亡くしてしまわれたんだよ」
秀満は悲しそうに言った。
「すまん、わし、悪いこと聞いたな…」
「いや、そんなに気にしなくてよい。
ただし、光秀様には決して今日のこと言うではないぞ」
「はい…」
その後、利三と秀満はそれぞれの仕事場へと急いだ。
その頃、光秀は…
彼は林の中にある小さな二つの墓石の前にいた。
光秀は墓石の前に花と線香を置き、手を合わせる。
光秀は思い出す。
まだ幼かった頃の悲劇を…
夏祭りのを楽しんだ後の帰りだった。
幼かった光秀は両親と手を繋いで暗い林の中を通っているところだった。
光秀は両親と一緒に祭で楽しかったことを話していた。
ところが、そんな時間が一瞬にして悲劇に変わった。
夜盗が彼らを襲ったのだ。
父は妻と光秀を庇って殺され、母は光秀に襲い掛かる刃から庇い、亡くなった。
光秀はその後、林の中で夜盗が去るまで隠れていた。
夜盗が去った後、光秀は両親の亡骸の前で泣いていた。
両親が死んだのは自分が弱いせいだ、と叫びながら―
「許せない…、許せない…」
「えっ?」
光秀は一瞬なにやら恨みがこもった声を聞いた。
空耳かと思い、信長のもとに戻ろうとした時だった。
「信長、許せない…」
「なっ…」
光秀はいつに間にか黒く長いものに巻きつかれた。
「く、うぅ…」
力一杯、逃れようとしてもなかなかうまくいかない。
「我が恨み、思い知るがいい!」
「!!!」
光秀は悲鳴を上げる暇もなく、黒いものに飲み込まれた。
―その夜
長髪で肌の白い男が刀を手にして岐阜城に入ってきた。
「許せない、許せない…」
とつぶやきながら。
「誰だ!」
物音に気づいた起きて信長はすぐに刀を手にする。
寝室の障子に人影が写る。
「なんだ、光秀か…」
人影が光秀だと分かると信長は安堵した。
「許せない、許せない…」
「光秀?」
突然、戸を開けて光秀が襲い掛かってきた。
「光秀!」
信長は刀で応戦する。
「信長、我は忘れはしない。長篠の戦でのお前への憎しみと恨みを…」
光秀はこの世のものとは思えない恨みのこもった声で言った。
目が異様に光っていた。
「光秀、まさかうぬは武田の家臣に…」
信長は光秀が何かに憑依されていることに気づいた。
自分は幽霊なんか信じていなかったが、まさか本当にいるとは…
「信長、この男に憑依しているのは魂ではない。
我らの心の闇だ。心の闇はなかなか消えぬもの、
心に隙があらば闇はたちまちその者の心まで飲み込んでしまう。
消えるのは死んでからだ…」
「黙れ!わしの光秀に心の隙なんか…」
「それがあったんだよ、信長。この男は幼くして両親を亡くした心の傷ある。
その傷こそ、この男の心の隙。我はこの男が両親の墓参りをした時にこの男の
心を飲み込んでやった。お前に復讐するためにな…」
「だったら、なぜわしに憑依して殺さなかった!」
「お前を苦しめるには一番いい方法がこれだったんだよ」
武田の家臣の心の闇は微笑んだ。
「貴様、よくもわしの光秀を…」
信長は苦渋に満ちた表情をした。
「信長、我が恨み思い知るが、く…、なぜ動かない」
何かが必死に心の闇に捕らわれた光秀を止めようとしていた。
「信長様、早く私を殺して下さい…」
「光秀か!」
信長が聞いた声は紛れもなく光秀の声だった。
「早く、私をこの手で殺して下さい…、闇に捕らわれてる以上、
助かる方法はこれしかないのです。早く…」
光秀は苦しそうに信長に言った。
「おのれ、余計なことをしよって…」
心の闇が光秀の心を抑え込んだ。
「光秀、わしは…」
信長がふと微笑んだ。
魔王とは言われているのに彼の微笑みにはなぜ慈愛に満ちていた。
「わしは光秀に殺されるのは構わないぞ」
ふと、相手の動きが止まった。
「ふはははっ、哀れよの信長!じゃぁ、死ねぇぇ!なっ…」
信長に振りかざそうとした刀が自分の腹部に向いていた。
「闇に飲まれてあの方を殺すなら…」
「光秀、やめるんだ!」
信長の止める声を聞かないで、光秀は自分の腹部を刺した。
ザクッ―
大量の血が畳の一面に流れる。
ドサッと光秀は倒れた。
それと同時に黒くて長いものが光秀から出てきた。
「このくそがぁぁ!」
信長は即座に黒いものを刀で切った。すると、黒いものは消えていった。
「光秀、光秀、しっかりしろ!」
光秀を抱き起こすと、光秀は薄っすらと目を開けた。
「信長様、良かった助かったのですね…」
「たわけ!なんでうぬが死ぬ必要がある!」
「心の闇は死なないと離れない、
あなたを助けるにはこの方法しかなかったのです」
光秀はふと、微笑んだ。
「私は幼い頃に両親を夜盗に殺されました。
それ以後、弱かった自分が許せなくてずっと、自分を責めていました」
光秀の頬に一筋の涙が零れた。
「しかし、あなたに会えて少しだけ自分を許すことができました。
あなたといれば少しだけ心が安らいだ」
光秀はそっと信長の手を握る。
「お別れでございます。信長様、私はずっとあなたを愛しています…」
光秀が目を閉じた。
「待て、光秀まだ逝くな、わしを置いていくでない!」
信長は必死に呼びかけるが光秀は何も言わない。
夜空には美しい月があった。
―「ここは…」
いつの間にか光秀は寝室で寝ていたことに気づいた。
「起きたか、光秀」
そばには安堵して微笑んでいる信長がいた。
「信長様、私は一体…」
「あの後、大急ぎで医者を呼んでうぬの手当てをした。
もう少し傷が深ければうぬは死んでいた」
光秀の腹部には包帯が巻かれてあった。
信長は優しく光秀を抱き起こした。
「光秀、うぬの心の傷は絶対に治してやる、だから一人で抱え込むな…、
あのようなことはもう起こす出ないぞ」
「はい…」
二人はそっと口付ける。
その後、光秀はもうつらい表情はしなくなり、笑顔が多くなった。