手にとれるものは
たくさんあるけど?
『トイレ』
***
パタパタと風が窓からふいている。音が、する。
ここは屋上でも教室でもない、トイレの中。
オレはいつもみたく、個室にこもっていた。
そして、その個室の扉の向こうに、いつもみたく、もうひとり。
顔も背丈も、名前すらわからないけど。いつもそいつはそこにいた。
時々かけるそいつの声はちょっと低くて、野太い。だけどよくわらった。
オレがここにこもる理由は特になかった。
教室みたいなうるさいとこは嫌いじゃないし、ここみたいに静かなとこが好きってわけじゃないんだけど。
ヤツはと言うと、ただ単にヒマだからだそうだ。
そんで。
男ふたりが青春を語り合うわけでもなく、はたまた大をするわけでもなく。
ギ、と扉がきしんだ。
きっとこいつはいつもみたく扉に寄りかかっているんだとおもう。
「なぁ」
珍しくオレから声をかけてみる。
少し扉が動く。びっくりさしたかな。まぁいいや。
「あんたにとって大事なものって何?」
オレが扉ごしにそう問うと、向こうですこし笑い声が聞こえた。
「大事なものとか・・なんだそりゃ?」
「昨日ドラマで、見た」
あーわかる、月9だろ、と、また笑い声。
ムッとしながら、すこしの沈黙を我慢する。
「あんたは?」
逆に問われて、オレは不意をつかれた。
オレはあんたの答えを聞いてから、考えるつもりだったから。
でも扉の向こうで答えを心待ちにしてる(ような気がする)あんたのことを考えると、なかなか断りにくい。
しばらく考えて、オレはしぶしぶ答える。
「・・・財布とか・・」
「あー・・・・?」
・・・。
あんまり納得のいかない、声だな。
そりゃそうだ。
ドラマのヒロインが答えた言葉は、もっともっとロマンチックなものだった。
貴方です、だって。
オレはそこでもらい泣きしましただなんて、あんたには口が裂けても言えないが・・
大事なものって、・・・・大事なものだけど。
ああ、なんだかわけがわからなくなってきた。
「あ、あんたにはなにが大事なんだってば」
オレはハッとして、扉の向こうに問い返した。
「さぁ・・・大事なものねー・・・あんたとか」
「・・・・うそつけ」
「うん、うそ」
「!」
「って言ったら?」
「・・・・しらね」
だってドラマでおんなじようなこと言ってたジャン、とヤツは付け足す。
正直あんたのペースには時々ついていけない。
それからしばらくして、静寂が予鈴にかき消された。
いつもはヤツが先にトイレから出て、オレは扉を蹴って確認したあと、そそくさと教室に戻る。
オレが扉を蹴ろうとした瞬間。
「でもオレ、おもうんだけど、」
うぉ。
ま、まだいたのか。
唐突に言われてびっくりしたが、やっと真剣に考えるようになったか、と、オレは蹴るのをやめた。
「ここでオレ等が話してたことってけっこう大事じゃね?」
「・・・そうかぁ?」
静寂を埋めるようにするわけでもなく、はたまた気まずさをつくるわけでもなく。
ポツリ、ポツリ、しゃべっていただけのような気がするが。
ちょっと思い出して、オレは扉に寄りかかる。
扉ごしに背中合わせだなんて、なんか変だ。けど、けっこう心地よかったりする。
それはきっと顔も名前も知らないやつだからなのか?
それともこいつの声のせい?
「なぁ」
「何」
「卒業してもオレ等、お互いの顔も名前もわっかんないままなんだよな」
「まぁ・・・そーなるな」
それってちょっと変な気分。
そう言って、ヤツはトイレから出て行った。
結局ヤツの大事なものは、よくわからなかった。
オレ等の話していたことが、どんなふうに大事なのか、聞きたくなるような気がするけど。
それでもオレの頭じゃ、理解できないような。
『それってちょっと変な気分』
卒業して、就職して、結婚して、家庭作って、同窓会して。
それでもここでずっとしゃべっていたヤツの正体は、一生、わからない。
お互いが明かさない限り。
話した意味はわからなくとも、
たしかにそれっておかしい気分だな。
オレはひとり笑って、勢いよく扉を蹴った。