「テディベア・ガール」    ⇒NEXT  BACK  TOP
 
 第5章

 その日から数日間をオレは漫然と過ごした。
 授業はおろか、部活にだって身が入らない。先生には注意されるし、エラーばかりで先輩にはこっぴどく怒鳴られた。
 そうして3日が経った。その日も教師の講釈なんて全く頭に入らず、オレは呆然と椅子に座って午前中の授業を過ごしていた。チャイムが鳴り、昼休みになる。教室内は休み時間の開放感に包まれて、がやがやと話し声が飛び交った。
 突然、教室の扉ががらっと乱暴に開けられた。見ると、立っていたのは背の高い不良男。
 夏樹、だった。こいつの無表情顔を見るのも久しぶりだ。夏樹は、ずかずかと中に入って来た。教室内は自然と静まり返って、誰もが夏樹の動きに注目する。上級生の、しかもこんな見た目不良な男がいきなり入って来たら、そりゃ驚くだろう。
 夏樹は真っ直ぐにオレの所にやって来ると、机に手を置いて、低い声で言った。

「おい、ちょいと面貸せ」

 何だか、怒っているみたいだった。相変わらず表情には変化がないが、背後にどす黒いオーラのようなものが漂っている。
 強面の夏樹にドスの利いた声を出されると、本物の不良に絡まれているみたいだ。(オレは夏樹のことを本物ではなく、なんちゃって不良くんなのかと思っていた)
 というか、『面貸せ』って何だよ……オレ、殴られたりするのか。
 いやだなあ。夏樹のことを怖いとは思わないけど、何を言われるのかは大体想像がつく。気が重い。でも、目の前に夏樹がいるのだから逃げるわけにもいかなかった。仕方なく立ち上がり、夏樹についていった。
 向かった先はもちろん、夏樹のテリトリー・図書室である。図書室はがらがらだった。夏樹はためらいなしに、カウンターの向こう側にある司書室に入って行ってしまった。
 生徒が勝手に入っちゃっていいのか? ま、図書委員にはそういう権限もあるのかもしれない。
 司書室は狭い職員室みたいな所だった。机がいくつか並んでいて、その上には本やら書類やらが乱雑に散らばっている。
 扉を閉める。部屋の中には当然、オレと夏樹だけだ。夏樹がこちらを向いた。オレを睨み付けながら口を開く。

「てめぇなあ……どういうつもりだよ。来紗に何をした」

 やっぱりそのことか。今、1番聞かれたくないことだ。
 こいつには話したくない。だから質問に質問で返してやる。
「お前には関係のないことだろ?」
「はあ? 何言ってやがる……これじゃあ俺のやったことが台なしじゃねえか」
「台なし? あんたは一体何がしたいんだよ。何が目的だったんだ」
 夏樹は眉をひそめた。その視線の強さに負けるものかと、こちらも腹に力を入れて睨み返す。すると、あっさり向こうの方が先に目を反らした。
 夏樹は机の上を腕で片付けてスペースを作り、そこに腰掛けた。
「どうもこうもない、全部来紗のためだった」
「神崎のため? オレと神崎をくっつけようとすることが?」
 夏樹の行動は謎だった。でも何をしようとしていたのかは大体わかる。オレと神崎をくっつけようとしていたんだ。だから、オレに神崎の味方をしてやるように言ったり、くまさんの謎の答えを教えたりした。
「来紗はお前といる時が1番楽しそうに見える」
「何だよそれ。罪滅ぼしでもするつもりだったのかよ」
 乱暴な口調で言う。
 ああ、たぶんオレ、夏樹に八つ当たりしてるな。そうぼんやりと思った。
「何?」
 夏樹は眉をひそめて聞き返してくる。
 オレは言ってやった。
「七瀬とのこと、神崎から聞いた。夏樹も神崎を利用してたってこと」
 その台詞に夏樹は目を逸らす。

「罪滅ぼしか。そう……かもな。俺は来紗にひどいことをしてしまったと思った。それであいつ、いつも寂しそうにしてたから、誰かがあいつの傍にいてやればいいのにと思ったんだ」

 夏樹は胸ポケットからタバコを取り出し、ライターで火をつけた。煙を吐き出しながら言う。
「とにかく、今俺の話はどうでもいい。まずはお前が来紗に何をしたのか話せよ」
「だから何でお前に話さなきゃな……」
 夏樹はちらりとオレを見た。真っ直ぐな視線だった。
「話して、くれないか」
 ゆっくりと夏樹は言った。命令ではなく頼みこむ口調だった。
 互いに黙り込んだ。
 これがもし、有無を言わせぬ偉そうな口ぶりだったのなら、オレは絶対に口を割らなかったろう。こいつにオレのことを話してやる義理なんてない。
 でも、夏樹は丁寧に言った。その口調と横顔が、不思議なくらい昔の夏樹の面影と重なった。
『なあ、ユイ、今度キャッチボールの相手してくれないか』
 気が付いたらオレは話し出していた。初めは神崎のことなんて好きなんかじゃなかったこと。くまさんの謎を調べようと思った本当の理由。そして、オレの過去の話。
 ただ、今あるオレの神崎への気持ちだけは話さなかった。そんなこと言いたくないし、言う必要もない。
 全部話し終わった時には、夏樹は3本目のタバコに火を点けていた。

「……そーゆーことだったのか」

 考え込むようにして言う。
 それから、ふと思いついたように、
「でもお前、来紗のこと好きだろ」
 あっさり言ってきた。
 こいつ、何でわかるんだ?
 図星をつかれて本当はものすごくあせったけど、表面上は素っ気なく言い返す。
「言ったろ? オレが神崎に近づいたのは目的があったからで、別にそういうんじゃないんだって」
「ちがうな」
 夏樹は断言してきた。
「お前、さっき言ってただろ。『初めは』神崎のことなんて好きじゃなかったって」
「あ……」
「つまり今は好きだってことだろうが」
 そんなちょっとした言い回しからばれてしまうなんて。
 顔が熱くなるのがわかった。あっさりと見抜かれてしまったことで、恥ずかしさ倍増だ。
「だから何だよ、話はそれだけか? なら、オレはもう帰るからな」
 怒鳴りつけるように言って、オレは夏樹に背を向けた。夏樹が真っ直ぐこちらを見ていることはわかったが、もういい。これ以上、こいつに話すことはない。こいつが話すことも聞きたくない。
 そうして出て行こうとした時、後ろから夏樹の声が飛んできた。

「くまの説でな、1つおもしれぇのがあるんだ」

 いきなり何を言い出すんだ。
 というか、またくまかよ。もういいよそれは。今はくまの話なんざ聞きたくない。聞いたってしょうがないんだから。
「その説だとな……」
 夏樹が言いかける。聞きたくなかった。今はくまさんのことなんて聞きたくない。
 オレは構わず扉を開けようとした。ドアノブに手をかける。
 すると――

「くまはおじょうさんのことが好きだったんだよ」

 そのままオレは動きを止めた。振り返りはしなかった。夏樹はゆっくりと言葉を継いだ。
「だからこそ逃げなさいと言ったんだ」
 振り返る。夏樹はこちらを見ていた。何を考えているのかよくわからない眼差しだ。でも、何かを真面目に伝えようとしてくれていることだけはわかった。
「……何でだよ」
 オレは訊いた。
「さあな」
 夏樹はあっさり答えた。
「俺自身もよくわかってねえ説だ。いったい誰がこんなこと考えたんだか」
 吸っていたタバコを携帯用灰皿に押し付ける。夏樹は次のタバコには手をつけず、話を続けた。
「でもおもしろい説だとも思うぜ」
「何でくまが、おじょうさんのことを好きだなんてわかるんだよ?」
「落し物を届けてやるだろうが」
 くまがおじょうさんを好きだった?
 いったい何を根拠にそんなこと。
「下らない」
 オレは吐き捨てるようにして言った。
「下らないよ、そんな説。つまりはただのこじつけだろ」
 その台詞に夏樹は視線を散らした。
 そして、
「そうだな。ただのこじつけだ」
 意外にあっさりとそれを認めた。
「でもな、お前に語ったくまの説。あれも実はこじつけなんだよな」
「は?」
「逃げろって言ったのは歌の語り手だって説だよ。あれはな、真実じゃねえんだよ」
 くまさんの言うこと"から"お逃げなさい、っていう説だろ。
 あれが真実じゃない?
 どういうことだよ。
「本当のことを言うとな……」
 夏樹はそこで言葉を切った。言っていいものなのかどうかで迷っているようだ。そうして逡巡してから、夏樹はこちらを見て、きっぱりと言った。

「あの説は来紗が俺に話してくれたもんなんだ」

 え? 神崎が?
 嘘だろ?
 だってそれなら神崎は、オレがその説を話した時、それが真実じゃないって知っていたことになるじゃないか。神崎、本当は最初から知っていたのか?
 でも、それならどうして――
 その説はちがうって言ってくれなかったんだよ。付き合ってあげてもいい、なんて言ったんだよ。オレが話したのが真実じゃないって知ってたんだろ?
 それなのに、どうして。

 神崎……

 お前はいったい何を考えてたんだよ……?
「あのな、来紗、座る場所変えたんだ」
 夏樹は更に言ってきた。
「いつも図書室で自習してるだろ。あいつ毎日来るから、大抵座る場所決まってんだけどな、最近それを変えたんだよ」
 夏樹は机から下りた。オレの所に歩み寄って、肩にぽんと手を置く。そのまま軽く押された。それは、扉の前に立っているオレをどかそうとしたというよりは、「しっかりやれよ」的な意志が伝わってくるようなものだった。
 そして夏樹は言った。
「あいつ、今は窓側の席に座ってんだよ」


 夏樹が行ってしまってから、オレもすぐに司書室を出て、自習スペースの所に向かってみた。神崎が前に座っていた机。窓際で真ん中から右寄りの席。
 そこに座ってみる。
 そこからはグランドが見えた。
 そして、いつも野球部が練習に使っている所が、特にはっきりと見渡せるのだった。



 *


  もし、好きな相手に自分が相応しくないって思ったら、どうするだろうか。
 自分から身を引くっていうのも1つの手だ。
 くまさんはおじょうさんのことが好きだった。それなのに「お逃げなさい」と言った。それはこんな理由じゃないだろうか。
 出会ってしまったくまさんとおじょうさん。くまは本当はおじょうさんのことが好きだった。でもその思いを告げることで、おじょうさんに拒絶されて、自分が傷付くのが怖かった。
 だからくまは言う。

 おじょうさん、お逃げなさい――
 自分とはもう関ってはいけないよ、という意味を込めて。

 森のくまさんが「お逃げなさい」って言ったのは自分が傷付くのが怖かったからだ。これ、下らない説だけど、完全にただのこじつけでしかないと思うんだけど、オレはそのことが頭から離れなかった。
 そして、くまさんは自分が傷付くのが嫌だったってだけじゃない。
 何よりも相手のことを考えて、「お逃げなさい」と言ったんじゃないのかな。
 くまさんの想い。おじょうさんへの恋心。でも自分はくまだ。おじょうさんには相応しくない。好きだからこそ、おじょうさんのために身を引こう。だから、お逃げなさい、もう自分とは関わってはいけないよ。
 と、いう風に。
 そう考えてから、やっぱり思い直す。
 いくら傷付くのが怖くったって、相手のことを考えたって、本当に相手のことを想っているのだったら、「自分からお逃げなさい」とは言えない。絶対に言いたくない。しかし、だからといって、「こちらに来て下さい」なんて、もっと言えないんだけど。
 つまり、どちらも無理なんだ。何もできない。

 少なくとも、オレには何もできなかった。夏樹と話してから1週間近く経ったけど、自分から行動なんて起こせない。
 神崎との距離は開いたまま。
 正直、参っていた。
 神崎と話すことができないというだけで、世界は恐ろしくつまらない。食欲はないし、TV見てても笑えないし、友達と話しててもおもしろくないし。家では母さんにも姉ちゃんにも妹にも、果ては婆ちゃんにまで、「最近、どうしたの?」って心配されるほどだ。
 1人の女の子のことで、こんなにブルーになるなんて自分でもちょっと情けない。
 でも、とにかくオレは神崎に話しかけてほしかったし、笑いかけてほしかったし、何よりもそばにいてほしかった。あの少し不思議な色をした瞳に、自分が映っているところを見てみたい。
 と、そんな感じでオレはとにかく参っていたんだ。
 そんなこんなで、野球部で紅白試合する日を迎えた。何故か今回の試合、スタメンに選ばれてしまっていた。何でだろう、最近調子悪かったのに。普段はうかれる所だが、今は部活に出るの、すごく気が重い。
 こんなに野球に身が入らないって、初めてのことかもしれない。前まではボールとバットとミットがあるだけで幸せになれるという、単純極まりない人間だったはずなんだけどなあ。

 ああ、何かもう、人生灰色だ……。

 そんなぐだぐだな状態で、オレはグランドに向かっていた。その途中で見たくないものを見てしまった。壁にもたれかかって本を読んでいる。もう見慣れてるとはいえ、不良の読書姿っていろんな意味でちょっと怖い。
 うわ、何でいるんだよ、あんた。
 しかもこんな所でも本読んでるし。そんなに読書が好きなのかよ。
 オレはそいつからじりじりと離れて、大きく迂回しながらそこを通ろうとした。こっちに気付くなよ、大人しく本を読んでろよ、なんて思いつつ。今、こいつと顔を合わせるのは気まずい。いろいろと。
 しかし、ささやかなこちらの願いは届いてくれなかった。どうも夏樹はオレがここを通ることを見越していたらしく、
「どうしてこう、そろって不器用なんだろうな」
 なんてことを、ぽつりと言ってきた。話しかけられたというよりは、独り言に近いような台詞だ。
 ――知らねーよ。
 どう返答していいかもわからなかったので、聞こえなかったフリをすることにする。ついでに夏樹がいることに気付いてないってフリもしておこう。幸い、まだ目は合ってないし。
 そうやって夏樹の横を何食わぬ顔で通りすぎようとした。
 が。

「おい、工藤」

 呼び止められた。さすがに振り向くしかない。
 そーいや、再会してからこいつに名前呼ばれるのって初めてだ。ちょっと違和感がある。
 て、あれ?
 こいつの読んでる本、よく見りゃ青い鳥文庫だよ!
 夏樹、そんなものまで読むのか……それって小中学生が対象なんじゃ……? 青い鳥文庫を黙々と読む不良って。かなりおかしいよなあ。相変わらず、何考えてんのかよくわからないやつだ。
「何だよ」
 しぶしぶそう尋ねる。夏樹は青い鳥文庫(題名は見えない)に目を落としたまま、口を開いた。
「"why don't you run?"ってどう訳すか知ってるか」
「は?」
 またわけのわからないことを。こいつ、脈絡のないこと言うの好きだよな。
 何だ、まさか今読んでる本にそういう文が出てくるのか?
 というか、オレにそれを聞かないでほしい。英語の成績は5段階評価で3以上ついたことなんて、ない。えーっと、"why"が疑問詞で、"run"が走るだから……
「何で走らないんだよ、とか?」
 夏樹は目を細めてこちらを見た。まるで哀れむような視線だ。
「お前、バカか」
 ずばっと言ってくる。く、事実とはいえはっきり言うな、傷付くだろ!
「"why not"で勧誘の意味になるって知らねえのかよ」
 そーいえば、そういうこと授業でやったような気もする。すっかり忘れてたけど。
 夏樹はページに例のしおりを挟んで、本をぱたりと閉じた。そして壁から背を離し、面倒くさそうな口調で言う。
「走ったら、どうですか」


 why don't you run――?


 オレは口には出さずに、その言葉をくり返してみた。
 勧誘、か。なるほどね。つまり意味的には「走りなよ」という感じになるわけだ。でも、だから何だというのだろう。自分の英語力でも披露したかっただけか?
 オレの非難めいた視線に気付いたらしく、夏樹はひょいと肩をすくめた。気障ったらしい動作だ。でも、見た目の良い夏樹には不思議と似合うんだよな。
「まあ、特に意味はねえけどな」
 こいつ、マジで意味わかんねえ! 殴っていいかな?
「で。夏樹、オレに何か用?」
 これ以上不毛な会話をするのは嫌だったので、こちらから訊いてやる。
「ああ。お前、通学路ちょっと外れた所にちっせえ神社があんの、知ってるか」
 どうやらこっちが本題だったらしい。オレは通学路を思い出しながら頷いた。
「ああ、あのボロッちくて、神様が本当にいるのかいないのかよくわかんない所?」
「罰当たりなこと言う奴だな。まあ、ともかくお前さ、今からそこ行け」
「はあ?」
 すっとぼけた声が出る。
「何でだよ? オレ、今から部活が……」
「行けよ」
「行かないって」
「いや、お前は絶対行く」
「決め付けるなよ。そもそもそんな所に用なんか……」

「来紗が待ってるって言っても?」

 すとんとその台詞が腑に落ちてくるまで、若干の時間差があった。その意味を理解して、ハッとした。
 夏樹の顔を見る。夏樹は真剣な表情をしていた。
「さっき、約束取り付けといたんだ。来紗、よく意味わかってない感じだったけど、行くって言ってたぜ」
 と、身体をこちらに向けて、斜めに構えるようにオレを見る。
「最後のチャンスだ。タイムリミットは4時半までだからな」
「え、4時? だって、部活が終わるのが5時半……」
 言いかけて、残りの台詞を飲み込んだ。

 ……そういうことかよ。

 ようやく夏樹の思惑に気付いて、その場に立ちすくむ。
 つまり、野球じゃなくて神崎を選べと。
 そういうことなんだな、夏樹?


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