「テディベア・ガール」        ⇒NEXT  BACK  TOP
 
 天頂まで昇った太陽が温かな陽気を注いでいた。その日差しを受け、芝生はよりいっそう青々と光り輝いている。芝生の上にはベンチが置かれていて、そこに座ったおじいさんとおばあさんが仲良さ気に談笑をしていた。
 神崎と一緒に中庭を歩きながら、オレは頭を悩ませていた。神崎の考えていることがよくわからない、ってことは今に始まったことじゃない。でもさすがに休日に出かける場所が、ここだなんてことは思いもしなかったな。予想以上のってか、考えもしなかった突飛さである。
 少し前を神崎が、長い髪をゆらゆらと揺らしながら歩いている。当たり前だが神崎の服装はいつもの制服じゃない。上はロゴがプリントされたクリーム色のカットソートレーナー。下は短めの黒いプリーツスカート。同じく黒のハイソックス。派手すぎず地味すぎない印象だ。私服姿の神崎って初めて見た。新鮮な感じ。何ていうか、その……けっこう可愛いと言えなくないこともなくはないというか……うん……。

 ま、まあ、それはともかく。

 初め神崎にここの前まで連れて来られた時、オレは呆気にとられた。びっくりして何も言えなかった。そうして何秒か呆然とした後、答えはわかりきっていたが、目の前の白い建物を眺めながら、
「神崎……ここは?」
 と、尋ねずにはいられなかった。神崎は至極当然といった面持ちで、

「病院」

 と、答えた。
 そう、何故かオレは今、この近くで1番大きな総合病院に来ていた。何をしに来たのかってことは、神崎の格好を見ればわかる。神崎は途中で寄った花屋で買った花を手に持っていたからだ。
 花を持って病院に来たってことは目的は1つしかない。やっぱり、お見舞い、だよなあ。でも誰の? 友達? 親戚? ってか、そもそも何でオレを連れてきたんだ?
 と、それらのことにオレが頭を悩ませていた時。

「――来紗ちゃん!」

 涼やかな声が辺りに響いた。
 神崎とオレは同時に振り返った。
 芝生に伸びたアスファルトの小道の上を、1人の少女がやって来ていた。
 年の頃はオレたちと同じくらい。闊達そうな感じの女の子だった。
 健康に焼けた肌にくりくりとした大きな瞳。茶色がかった髪が肩の辺りでゆったりと波打っている。神崎はとことことその子の元に歩み寄って行った。
 病院に来たのはこの子に会うためだったらしい。友達か?
 近寄ると、オレも神崎もその子のことを見下ろす形となってしまった。その子は車椅子に乗っていたのだ。

「来紗ちゃん、久しぶり。来てくれてありがとう」

 車椅子の女の子はやわらかい口調で話した。にこにこと笑った顔が可愛いらしい。明るい雰囲気の子だ。
 それに対して神崎は、にこりともせずに、
「うん、久しぶり」
 と、それだけを言った。神崎って本当に無愛想だよな。ちょっとでも笑い返してやればいいのに。
 しかし、車椅子の女の子は慣れているのか、気にした様子は見せずに、
「来紗ちゃんが来てくれてすごく嬉しい。最近学校の方はどう? 楽しい?」
 と、朗らかな声で聞く。表情の豊かな子の隣に並ぶと、神崎の無表情っぷりや、冷めた感じが更に際立つ。
 やっぱりこれくらいの歳の女子で、こんなに表情の変化が乏しいのって珍しいよな。オレは2人を見比べながらそう思った。
 明るく話す車椅子の女の子とは対象的に、神崎は淡泊な声音で答えた。

「別に。特におもしろいこともないよ」

「本当に?」
 車椅子の子は楽しそうに尋ねる。その目にはからかいの光があった。そして笑いながら、
「じゃあ、その人は誰?」
 と、オレの方を見てくる。
 う、この子まさかオレと神崎との関係を何か勘違いしてるんじゃないだろうな……。
 神崎はちらりとオレを見てから、実に簡単に紹介をしてくれた。

「同じ学校の工藤。で、こっちが七瀬愛稀(ななせあき)ちゃん」

 えええ、そうなのか。オレと神崎の接点って「同じ学校に通ってる」ってだけ?
 神崎の紹介を受けて、七瀬はこちらに向かってニッコリと微笑んでくれた。いつも素っ気ない神崎ばかり見ているので、そういう態度が何だか新鮮だった。
 感じの良い子だ。笑うと頬にえくぼができて、それがまた可愛い。

「工藤くん? あたし、七瀬愛稀って言います。よろしくね」

 丁寧にお辞儀をする。オレも軽く頭を下げた。
「あ、えっと、工藤結都です、よろしく」
「工藤くんのことは来紗ちゃんから聞いてるよ」
 と、七瀬が言った言葉にオレは驚いて、神崎を見た。
「え、神崎が?」
「うん、すごく変な転校生が来たって話してた。ねっ、来紗ちゃん?」
 神崎は相変わらず無表情でいる。オレ、そんな風に言われてたんだ。変な転校生って。

「神崎にだけは変だって言われたくないよなあ……」

 思ったことが口に出てしまう。案の定、神崎はむっとした顔でこちらを睨んで来た。
「どういう意味。工藤だって変人じゃん」
「変なのは神崎の方だよ。周りから180度くらいずれてるくせに」
「そうかもしれないけど、工藤の方がずっと変だってば。その上、バカだし」
「何だよ、それほどじゃないだろ、ちょっと成績が悪いだけだ」
「それをバカともいうんだよ」
 七瀬がオレと神崎のやりとりを聞いて、からからと笑った。
「いいなあ、お2人さんとも仲が良くて」
 この子、やっぱり絶対に何か勘違いしてる……。オレと神崎はそんな関係じゃないぞ。
 神崎は、しかし、どうもオレたちの関係が勘違いされていることに気付いてないらしく、
「愛稀ちゃん」
 と、七瀬に向かって言った。
「あの本、見せてもらってもいい?」

「え、くまさんのあれ? うん、いいよ」

 七瀬が当たり前のようにくまさんのことを口にしたことにオレはびっくりした。え、それって「森のくまさん」のことだよな? この話って七瀬も知っていることだったのか?
 オレが七瀬と神崎のことを交互に見ていると、
「工藤、前にどうしてくまさんの謎にそんなにこだわるのかって聞いてたよね」
 と、神崎が言った。
「その答え、教えてあげる」



 *


 七瀬の病室は大部屋だった。全部で6つのベットが並んでいる。その上で横になったり座ったりしているのは、20代くらいの女性やもっと歳のいったおばさんばかりだった。七瀬くらいの歳の子は他にいない。
 七瀬のベットは1番窓際だ。窓からはちょうど色づき始めたばかりの鮮やかなカエデの枝が見えた。隣にある棚には実にいろいろな種類の本がずらりと並んでいる。その量の多さにオレは感心した。
「本が好きなの」
 そう言って、七瀬ははにかむように笑った。
 その棚の中から、一冊の本を取り出してオレに渡してくれた。

「ちょっと流し読みでもいいから、読んでみて。おもしろいよ」

 そう言われて、本を開いてみた。
 ハードカバーの本で、内容は小説でも評論でもなかった。まず目次には誰でも知っているような民謡や童謡の名前が並んでいる。それぞれの項目のページに移ってみると、その歌詞についての深い考察がなされていた。
 知らないことばかりが書いてある。あの歌が実は戦争の批判の歌だったり、誰かとの辛い別れの歌だったりするのだ。小学校の時、音楽の時間に何気なく歌っていた歌には、知りもしなかった様々な含みがあるのだった。
 オレは顔を上げて、七瀬を見た。

「この本にくまさんのことが載ってるのか?」

「ううん、そうじゃないの」

 七瀬は首を振る。
「その逆。載ってないからこそ、自分たちで考えてみようと思って。ね、来紗ちゃん」
 そう言って、神崎に同意を求める。神崎は持ってきた花を花瓶に移し替えているところだった。
「うん。ただのゲームみたいなもんだよ。暇つぶしの」
 そうだったんだ……。つまり、この1冊の本に触発されただけだったんだな。
 でも、

「だからって、くまさんの謎を解いた人と付き合うとか、そーゆーことを学校中に言い触らすことないんじゃないか?」

 オレがそう言うと、七瀬が「ええ!」と声を上げた。
「来紗ちゃん、そんなこと言ってたの?」
 七瀬はそこまでは知らなかったらしい。でも当然か。神崎が自分からそんなこと言うわけないし。
 七瀬の問に、神崎は珍しく口ごもった。いつもずけずけと物を言う神崎が本当に珍しい。

「ん……本当はそうまで言った覚えはないんだけどね」

 今度はオレが驚く番だった。
「え、そうなんだ?」
「うん……夏前くらいから何か付き合ってくれってしつこく言ってくるやつがいて。断ってもまとわりついてきてウザいから、追っ払う良い方法はないかなって思ったんだ。そいつ、自分が断られるのには、それなりの理由がないと納得できないってやつだったみたいで」
 それで、神崎は言ってやったそうなのだ。じゃあ、あんたは森のくまさんの謎が解けるのかって。いくら告白にうんざりとしてたとはいえ、そういうことを言った神崎も神崎だが、そのしつこい男の方も大概にバカなヤツだった。
 つまり、そいつはこう思ってしまったのだ。それなら、森のくまさんの謎が解ければ神崎は自分と付き合ってくれるんだな、と。

 そしてそのことを学校中に吹聴して回ったそうだ。本当にバカというか、迷惑なヤツである。

 初めは勘違いする男どもに困っていた神崎も、そのうち放っておこうと思ったそうなのだ。気付いた時には噂は学校中に広まっていて、わざわざ訂正するのも面倒だったし、何よりもいろんなヤツが思い付かなかったような説を話してくれる。
 それで、神崎は勘違いされたままでいることにしたと。どうやらそういうことらしい。
 なるほど、理由はわかった。その勘違い先輩が夏樹だったりしたら笑えるよな。いやいやいや、笑えないか。全然。
 などと、オレがアホそのものの推測をしていると。

「それが相原って人だったんだけど」

 神崎がぽつりと言った。
「え。っていうかアイツ?!」
 あのいろんな意味でおもしろい、そして神崎を傷付けた最低最悪な先輩か!
 神崎は怪訝な顔でこちらを見た。
「工藤、知ってるんだ」
「ええっと……ホラ、何かあの人有名ジャン……変な人ってことで」
 覗き見してたことは知られたくない。あ、ついでに相原の評判も落としとこう。そう思ってお茶を濁していると、話を聞いていた七瀬が心配そうな表情で口を開いた。

「だめだよ、来紗ちゃん。そういうの本気にする人もいるんだから。変なトラブル起こすことになっちゃうよ」

 う……
 はい……オレも本気にしたバカな奴らのうちの1人です……。
 まともに神崎の方を見れなくなって、歌の本に目を戻す。ぱらぱらとめくってみると、あるページで自然に開いて止まった。しおりが挟んであったのだ。紅葉を押して作った綺麗なしおりだった。

 あれ? オレは首をひねった。
 このしおり、どこかで見覚えがないか?

 あいつのことが頭に浮かんだ。でも……ちがうよな? すぐにその考えを振り払う。ただの偶然だよな。そう、きっと、たまたま似てるだけだ。
「水、容れてくる」
 神崎が花瓶を抱えて言った。七瀬は顔を綻ばせて「ありがとう」と言う。神崎はそのまま病室を出て行ってしまった。
 七瀬と2人残されて、オレはこの子に神崎のことを訊いてみることにした。歌の本を閉じて七瀬に返してから、

「神崎との付き合いは長いのか?」

「うーん、そうでもないよ」
 と、七瀬は本を片付けながら答える。
「来紗ちゃんに会ったのは今年の6月のことだった。来紗ちゃんの方から話しかけてくれたんだ」
 へー、神崎の方から? それはものすごく意外だ。あの非社交的な性格をしている神崎が自分から話しかけるなんて。七瀬の持つやわらかい雰囲気に影響でも受けたのだろうか。
「来紗ちゃんその時、たまたまあたしの好きな作家の本持ってて。それで話が合って、仲良くなったの」
 七瀬は車椅子からベットに乗り移ろうとした。手を貸した方がいいのかなと思ったけどその必要はなく、器用に腕の力を使ってベットの上に移った。
 オレはさっき七瀬の言ったことに引っかかりを覚えた。
「さっき神崎とは病院で会ったって言ったよな?」
「うん。来紗ちゃん、たまにここに検査に来るみたいだから」
「検査……」
「前まではこの病院に入院してたんだって」
 七瀬はそこで言葉を切って、窓の外に視線を移した。
 ここから見える景色は病院の裏庭なんだろう。カエデの木が見える。色鮮やかに紅葉した葉も、まだ青々としたままの葉も、完全には変わってなくて中途半端に緑を残した葉も見える。さっきの紅葉のしおりを思い出した。

「来紗ちゃん、本当はすごくいい子なんだよ」

 外を見ながら七瀬は口を開いた。
「ただ入院生活が長くて、学校にも通えなかったから、人付き合いがヘタなだけなの」
「学校に通ってない……?」
「あれ、来紗ちゃんから聞いてない?」
 こちらに目を戻す七瀬。
「来紗ちゃん、小学校低学年の時からずっと入院してたんだよ。それで、中学校は卒業証書もらっただけで、1度も通ったことないって」

 そっか、そうだったんだ。神崎は中学にも通えなかったんだ。

 神崎の尖った声が頭の中に蘇った。
『中学校と小学校……』
『うるさい、そういう話をするな』
 だから、神崎はあの時怒ったんだ。知らなかったとはいえ、オレは本当に無神経なことを言ってしまった。
 神崎は他のヒトが当たり前のように与えられていたものを小さい頃から奪われていた。持っていて当然のようなものを持っていなかった。確かに神崎は人付き合いがヘタだ。実際、学校でも浮きまくってしまっている。
 でも、それは仕方のないことだったんだ。神崎は周りとの合わせ方を今まで学ぶ機会がなかったんだから。

 脳裏に神崎が見せた寂しげな表情がちらついた。

 黙りこんでしまったオレを、七瀬は静かな眼差しで見ていた。
「あのね、工藤くん」
 そして静かな声で言う。
「来紗ちゃん、いつも平気そうにしてるけど、でもやっぱり寂しい思いをしてるんだと思う」
 七瀬の目も寂しそうに歪んでいた。その視線にオレは切ないような気持ちになった。
「来紗ちゃんがくまさんの謎を知りたいのは、きっとお母さんのことがあるからじゃないかな。来紗ちゃんはお母さんのことが大好きだったみたいだから」

 大好き、だった?

 オレは七瀬の言った微妙な言い回しに気付いた。七瀬は俯きながら続きの言葉を口にした。
「えっと、あたしがこんなこと言っていいのかわからないんだけど……来紗ちゃんのお母さんは、来紗ちゃんが中学生の時になくなってるの」
 そうだったんだ……神崎、母親をなくしてたんだ。
 じゃあやっぱり神崎はずっと1人でいたんだろう。お母さんはいない。父親は仕事があるだろうし、頻繁に見舞いに来れるという訳でもなかったはずだ。小学校の時から入院していたという神崎は、どれだけ長い時間を1人で過ごしてきたのだろう。

 それを思うとやり切れないような気持ちになった。ずっと1人でいて、寂しく感じないわけがないじゃないか。

「それでね、来紗ちゃんが自分に告白してきた先輩にくまさんの謎を聞いたのは何でかっていうその理由、あたしには何となくわかる気がするの。ただ知りたかったんだと思う。来紗ちゃんは小さい時、お母さんに言われたことがあるんだって。くまさんがお嬢さんにお逃げなさいって言った本当の理由は……」
 ちょうどその時、神崎が両手で花瓶を抱えて帰ってきた。
 それで七瀬はこちらを見て悪戯っぽく笑う。もう話はおしまいだよ、って言わんばかりに。神崎の前では言いにくいことなんだろう。だからオレは、七瀬がその先何と言おうとしていたのかを知ることはできなかった。

 くまさんがお逃げなさいって言った本当の理由って何だ……?

 神崎は先程と雰囲気が少し変化していることを感じたのか、不思議そうにオレと七瀬のことを見比べていた。
 オレは神崎のそんな姿を見て、何故か胸が痛むのを感じた。
 それと同時に思ったんだ。

 神崎が森のくまさんの謎を知りたがっている理由。

 それっていったい何なんだろう……って。

 

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