「テディベア・ガール」        ⇒NEXT  BACK  TOP
 
 第3章

 それから神崎との付き合いが始まった。
 といっても、何かが変わったというわけでもない。今まで通りだった。登下校を共にしたりとか、一緒に昼飯を食ったりとか、どこかに出かけたりとかもしない。顔を合わせればあいさつする程度。
 大して話もしないので、オレは神崎について恐ろしく何も知らなかった。例えば神崎が好きなものは何かと尋ねられても、首をひねるほどだ。むしろ隣の席にいるヤツについての方が、神崎のことよりもいろいろとわかってるんじゃないかと思う。

 でも、神崎に興味がなかったってわけじゃない。むしろすごく気になっていた。神崎をつい無意識のうちに目で探してしまう回数は前より増えていた。いつも神崎の姿を見てしまう。
 そして、神崎のことをもっとよく知りたいと思った。あまり話をしなかったというのは単純に、神崎を前にするとうまく喋れなくなってしまうからだ。何を言っていいのかわからなくなる。
 うちの家は女ばかりだったから、女の子と話すこと自体に抵抗はないし、実際、他の女の子相手だと普通に話せるのに、神崎だけはダメだった。
 何でだろう? そわそわして落ち着かない気持ちになってしまう。
 神崎のことを考えてしまう時も前よりも多くなっていた。綺麗な顔や、つまらなそうな仏頂面、ちょっとすねた表情、いつもぼんやりと神崎を思い出してしまう。

「神崎っていいよなあ」
 また飽きもせず神崎のことを考えていた時だ。突然、そう声をかけられて驚いた。何か、最近は神崎って言葉を聞く度にドキッとするなあ。
 話しかけてきたのは同じ野球部の木野孝吉(きのたかよし)。
「ま、見た目だけはな」
「可愛いもんなあ」
 その言葉に、周りにいた何人かの男子が頷いた。

 昼休みの教室。お昼も食べ終わって、だらだらと雑談をしている時間帯だ。ちなみに教室に神崎の姿はない。いたらこんな話はできないけど。
「1年の女の子の顔、全てをチェックした俺だからこそ言える。神崎は間違えなくこの学年の中で最っ高に可愛い」
 更にそう木野が続ける。
 こんな風に神崎は可愛いから、けっこう男から注目されている。それはわかっていても、誰かが神崎に好意を持っていると知ると何だか複雑な気分だ。

「なあ、どうやったらあの神崎の気を引けると思う?」

 木野がそう尋ねてくる。
 こいつ、本気で神崎のことを?
「さあ。そんなの自分で考えろよ」
 オレはしれっと答えた。
「何だよ、つれねえなあ。まさかお前もライバル? 神崎狙いかよ? おい」
 木野は少し慌てたように言った。
 何を言うんだ。そんなのは勘違いだ。

 オレが? 神崎を?

 一応、形だけの上では付き合ってることになっているが、その関係があっさりしすぎているので、周りからは気付かれてないみたいだった。
「ちょっと待った、あの図書室寄生虫の存在を忘れるのは良くない。神崎と、不良ぶった根暗な図書委員様って何か怪しくないか?」
「お、おい、お前……!」
 木野はオレのセリフに慌てて辺りを見回した。
「せ、先輩のことをそんな風に言うなよ……しかも夏樹さんってめちゃくちゃ怖い人じゃねーか」
「怖い?」
 そうかな? オレは夏樹のことを怖いと思ったことは、今まで一度もなかった。
「夏樹が? あんなのはただの根暗な……」
「だー、それ以上言うなって!」
「目をつけられたらどうするんだ!」
「お前が夏樹先輩のこと嫌いなのは、よーくわかった」

 いや、別に嫌いってほどでもない……けど。

 好きってわけでないことは確かだ。最近はあいつのすました顔を見るとむかむかする。神崎と一緒にいたりすると、特に。 
 昔からあいつの冷めた性格は変わってないはずなんだけどなあ。
「ところで夏樹さんって、もともと野球部だったんだろ?」
「あ、それ聞いたことある。ピッチャーやってたって話だぜ。でも、今年突然やめちゃったんだってな」
「へー、ピッチャーだったんだ。いいよなあ、俺もできればピッチャーになりたかった」
「ま、一度は見る夢だよな」
 話題が夏樹からピッチャーの話へと移っていく。それをオレは呆然と聞き流した。右肩に重い痛みを感じた気がした。

 夢、かあ。

 オレだって本当はピッチャーをやっているはずだったんだ……
 窓の外を見る。グランドが見えた。オレはもう、マウンドの上に立つことはできない。それもこれもみんなアイツのせいだった。
 アイツのせいで、アイツがいたせいでオレは――
 拳を強く握っていた。怒りと同時に悔しさが頭の中を駆け巡る。そうだ、元々オレが神崎に近付いた理由は、アイツに復讐をしてやるためだったはずだ。その目的があったからこそ、くまさんの謎だって解こうと思った。
 オレは神崎の父親に会う必要があったんだ。娘の神崎来紗に用はなかった。どうでもよかった。父親に会うために、神崎を利用してやるつもりだったんだ。それで最終的に神崎が傷付くことになったって、構わないとさえ思っていた。

 それなのに、どうしてだろう。

 最近は神崎のことが頭から離れない。あいつの笑った顔を見てみたいとさえ思ってしまう。廊下にうずくまる神崎。震える肩。普段気丈な神崎の弱りきった姿。あの時の神崎を思い出すと、怒りさえ収まってしまう。
 ……オレは、いったい何がしたいんだろう……
 自分でもよくわからない。神崎に関してだけは、自分の思考を上手くまとめることができない。あの時の痛みは決して消えたわけじゃないはずなのに。
 と、その時だった。ふと視界に人影が入った。窓の外、2人の人物がグランドを歩いている。片方は男。誰かはわからない。そしてもう1人は女。長い黒髪が揺れている。その人物を見て、ドキリとするのがわかった。
 見間違えるはずもない。あれは、

(神崎……)

 何やってるんだ? 昼休みのこの時間に何で男と歩いてるんだよ。表情がよく見えない、今どんな顔をしているんだろう。何を思って、あんなヤツと歩いてるんだろう。
 考え出したら、いてもたってもいられなくなった。席を立つ。何も考えなかった。ただ、どうしても気になるんだ、神崎のことが。
「って、お前、どこ行くんだよ?」
 木野の言葉に振り返り、
「え、いや、その、ほら、急用! オレ、たった今、何か用事を思い出した」
 言い訳になってない言い訳を口走って、オレは駆け出した。



 *


 体育館裏の人気のない所に、神崎とあの男はいた。
 2人とも向かい合うようにして立っている。男の方はやけに神妙な顔付きで、神崎のことを見つめていた。
 男と女。2人きり。人のいない体育館裏。真剣な表情。
 この雰囲気ってもしかして……

「だからいいだろ? 俺と付き合ってくれよ」

 や、やっぱり。
 神崎、告白されてるんだ。
 男の方――見覚えがある。長めの茶髪。ちゃらちゃらした雰囲気。細身の身体に、そこそこ整った顔立ち。そして、割りと背は高い。
 2年の相原(あいはら)先輩だ。相原先輩って格好良いよね、と女子たちが騒いでいたから、名前と顔くらいは知っている。えっと、部活は何だっけ。忘れた。というか興味ない。
 うーん、確かにモテそうな感じ。事実、女の子からけっこう告白されることも多いみたいだし。
 オレは不安になって物陰から2人を見守った。
 相原先輩は学年の中で2番目に人気がある。1番人気はものすごく腹立たしいことに夏樹みたいだが。

 それにしても神崎もすごいよなあ。モテる先輩からの告白、か。
 女の子側にとって、そういうのってどうなんだ? やっぱり嬉しいものなのかな。
 その、神崎もこういう男を格好良いとか思ったりするのか……?
 まさかだけど、オーケーしたりなんか、しないよな?
 しかし、それは杞憂に終わったみたいだった。神崎はいつもの仏頂面でその男を見返していた。うんざりしているようだ。
「やだ」
 はっきりとした口調。ざっくりと切り捨てる。少しの期待すら持てないほどの断定調だ。
 しかし、相原先輩はひるみも落ち込みもしなかった。眉をついと吊り上げて、心底理解できないという顔をする。
「俺のどこが悪いわけ? 自分で言っちゃうけど、顔は悪くはないし、スポーツ万能、勉強だってできるぜ?」
 おいおい、自分で言っちゃったよ……お、おもしろいヤツだなー、いろんな意味で。
 今、オレと神崎の中で、こいつに対する評価は一致したにちがいない。
 明らかにいやそーな顔をする神崎。

「しつこい」

 好意を迷惑としか感じていないみたいだ。
 神崎は睨み付けるようにして先輩を一瞥した。そしてくるりと背を向ける。もう何も言うことはない、って感じだ。
「ちょっと待てよ!」
 先輩が神崎の腕を掴んだ。
「ふざけんな、ダメならそれなりの理由を言えよ! 俺は納得しねえからな!」
「うるさい。キミには興味ないだけ」
 神崎は鋭い視線を向ける。
「はなして」
「……許さねえ……」
 低い声で呟く。先輩は血走った目を神崎に向けて、喚き出す。

「この俺をフるなんて許さねえぞ! こうなったら力づくでも俺のもんにしてやる!」

 相原がぐいっと神崎の腕を引っ張る。壁に神崎を押し付けた。ドン、と背中が当たる。神崎は顔をゆがめて、細い声を出した。
 あいつ……! 神崎に何てことを……! 神崎に触んな! そいつを傷付けるなよ!
 一瞬で頭に血が上る。怒りに全て押し流された。
 オレはすぐに飛び出していこうとした。それで神崎を助けて――
 だけど、こちらが行動に移す、その前に。
 どご、っと肉を打つ音。相原が突然、尻餅をついた。頬を押さえ、うめき声を上げている。
 え、何が起こったんだ?
 わけがわからなくて、オレはその場でボーっと突っ立っていた。
 混乱したのは一瞬だけだ。状況はすぐに掴めた。
 誰かが相原を殴ったんだ。もちろん、神崎じゃない。1人の男が神崎と相原の間に立ちはだかっていた。顔の前で拳を固めている。どうもそいつがやったらしい。相原が邪魔で、男がやって来たのに全く気付かなかった。
 その男。めちゃくちゃ見覚えがあった。背が高くて強面。見た目不良の図書委員。

 何でだよ……何で夏樹がここにいるんだよ……

 力が抜けた。どうなってんだよ。わけがわからない。
「来紗に手を出すんじゃねえ」
 夏樹は怖い形相で相原を睨みつけた。
 相原は「ヒィィイイイイ!」と、まるで女の子のような悲鳴を上げ、逃げていった。
 おい。意外と度胸ないな。
「大丈夫か」
 夏樹は打って変わって冷静な声を出して、神崎を振り返る。そして、壁に寄りかかっていた神崎の腕を引いた。
「っていうかな、お前も相手を無闇に挑発するな。今みたいな目にあうぞ」
「挑発してない。本当のこと言っただけ。そしたら相手が勝手に怒った」
「そういうのを挑発って言うんだよ」
 呆れたように夏樹がため息をつく。神崎はすねたような顔でじっと夏樹を見た。その表情を見て、オレは胸がずきっと痛んだ。
 何か言いたげな表情だ。神崎ってもしかして夏樹のことを……?
 しばらくしてから神崎は視線を逸らして、小さな声で言った。

「……ありがと」
「ああ」

 頭ががんがんと痛んだ。2人の間には何か特別な雰囲気がある。少なくともただの他人ってわけじゃなさそうだ。見ていられなくなって、オレは目を逸らした。
 だるい。全身を脱力感と虚無感に苛まされていた。
 オレ、出る幕なかったな……
 夏樹が助けちゃったし……
 オレは必要じゃなかったんだ。神崎には夏樹がいるじゃないか。

「それより来紗、お前を探してたんだ。話がある」

 夏樹の低い声が聞こえる。聞きたくもないのに。
 もういいや。これ以上ここにいたって仕方ない……
 夏樹と話している神崎なんて見たくなかった。
 オレはそっとその場から離れた。神崎と夏樹のことが何度も頭の中をめぐった。くらくらする。顔が熱い、熱でもあるのかな。
 少し離れてから、もう1度だけ振り返ってみた。本当は2人の姿なんて見たくなかった。でも、気になった。神崎と夏樹のことが。

「お前さ――」

 夏樹が壁に手をついて、神崎のことを見下ろしている。神崎は嫌がってなかった。何も言わずに夏樹のことを見つめている。
 何なんだよ……あの2人っていったいどういう関係なんだよ?

 

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