「テディベア・ガール」        ⇒NEXT  BACK  TOP
 
 それからというもの、神崎の姿を目で追ってしまうことが多くなった。
 朝来てから、授業中、休み時間、放課後と神崎の方をつい見てしまう。

 うーん、どうしたんだろう、オレ……。何でこんなに神崎のことが気になるんだ?

 体育の時もそうだった。見学する神崎のことを見てしまう。神崎は本当につまらなそうな顔でベンチに腰掛けて、授業を眺めている。見学者も本当は体操着に着替えなくちゃいけないはずだが、神崎は制服姿のままだ。
 オレは授業でサッカーの試合をしながら思った。神崎はこんな風に思い切り身体を動かしたことがあるんだろうか。
 そもそも走ったりできるのか? 心臓が悪いんならそれすらもできないのかもしれない。
 そうやって神崎ばかりに気をとられていたら、パスに気付くのが遅れ、回されたボールをあらぬ方向に蹴り飛ばしてしまった。

 神崎のことを考えてみるとよくわからない。

 オレが初めに知った神崎は堂々としていて、誰が相手でも強気な態度を取る上に、生意気で全然可愛くなくて。いつも仏頂面をしているようなヤツだった。
   でもこないだ思いがけずに知ってしまった神崎は、身体が弱く、今にも消えてしまいそうなほどの危うい儚さを持っていて。
 あの小さな背中や苦しげな表情がどうしても頭から離れない。
 強い神崎と、弱い神崎と。いったいどっちが本当の神崎なんだろう。

 と、まあオレは神崎を見て、そんなことばっか考えていた。だから、夏樹のことなんてすっかり忘れていたのだった。

 あれから1週間経った昼休みのこと。
 食堂でパンを買ってから教室に戻ると、クラスのヤツに「さっき先輩が来てたよ」と言われた。とっさに野球部のことを連想したが、その先輩は「図書室で待ってるからすぐに来るように伝えてほしい」と言っていたそうなのだ。

 図書室か……。

 それで夏樹のことを思い出した。
 そういえば夏樹って先輩だったっけ。オレとしては夏樹は野球少年の時の印象が強いので、そう深く考えずにタメ口を使ってしまっていた。
 面倒くさいなあと思ったけど、行かないわけにもいかない。夏樹が前に図書室で飲食していた生徒を蹴り飛ばしていたことを思い出して、パンは置いていくことにした。
 図書室に行くと、カウンターの上に夏樹は腰掛けていた。行儀が悪い。まあ、見咎めるヤツなんていないからいいんだろうけど。
 昼休みは始まったばかりなので、他に生徒の姿はない。
 夏樹はやっぱりというか何というか、本を読んでいた。新書で、難しい哲学書の類だった。題名を見ただけで頭が痛くなりそうだ。

「おぅ、来たか」

 夏樹は顔を上げてオレを確認し、しおりを挟んだ。あ、またあのしおりだ。紅葉で作った綺麗な感じのやつ。これ、こいつのお気に入りなのかな?
「何の用?」
 と、オレ。先程、一応こいつは先輩であるという事実を再確認したばっかりだが、いきなり敬語を使うのも変だし、夏樹自身が大して気にしてないようなのでいつも通りの口調だ。
 夏樹は読んでいた本をカウンターの上に置く。そして胸ポケットから四角い箱を取り出した。
 そこから1本抜き取り、さも当たり前のように口にくわえようとしたところで――それをオレはばっと奪い取った。タバコの箱もろとも。

「……おい」

 夏樹がそのままの姿勢で固まって、抗議の声を上げる。
「おい、じゃない!」
 オレは言ってやった。
「何やってんだよ、こんなところで! タバコはダメだ! ぜったい、ダメだ! 身体に悪影響が出るぞ! スポーツやるんなら何よりも大事に――」
 言いかけてオレは気付いた。夏樹は冷めた目でオレを見ている。

 そっか……そうだよな。もうこいつには関係ないことか。

 釈然としないものを感じながらも、タバコを返す。夏樹はそれを受け取ってくわえると、ライターを取り出し、慣れた手付きで火を点けた。オレはカウンターから2歩離れる。タバコの煙は苦手だし、元天才ピッチャーと言われていたヤツのこんな姿を見るのはイヤだったんだ。
 野球をやろうが本を読もうがタバコを吸おうが、それは全部夏樹の勝手であるってことはわかっている。だからこれはオレの気分の問題だ。
「図書室では騒ぐなとか飲食禁止だとか、散々言ってなかったっけ」
 そうつっこんでやる。夏樹は紫煙を吐き出しながら答えた。
「ここの利用規約を読んでみろ。喫煙禁止とはどこにも書いてねえ」
「そんなのへりくつだ……というか、火災探知機とかに引っかからないのか?」
「んなもん切ってある」

 いいのかよ、勝手に切って。

 カウンターに座ってタバコの煙をくゆらせている夏樹の姿は、どこをどう見ても柄の悪い不良にしか見えなかった。
 何だかなあ……いつかその火が本に燃え移って火事になったとしても、オレは庇ったりしないぞ。真っ先に夏樹の名前を出してやるからな。
「で、肝心の用は何だよ」
 どうも不愉快な思いを消せないまま、尋ねる。夏樹はぼんやりとした表情で、宙に視線を据えていた。オレのことは眼中にナシ。こいつ、本を読んでいてもいなくても話をしているヤツの方を見ないんだな。

「ああ、来紗のことだ」

 夏樹は言った。まあ、そうだろうとは思っていたけど。夏樹が野球をやめた今、オレとこいつの間で共通の話題と言ったら、それしかない。
 夏樹はタバコを指で挟んで持つと、
「お前、まあまあうまくやったみたいだな」
 と、言ってオレを見た。
「うまくやったって?」
「俺の出した条件のことだよ。正直あんま期待してなかったんだけどな」
 あ。そういえば夏樹との交換条件やくまさんのことすっかり忘れていた。それよりも神崎自身のことが気になっていたからな……。
 そもそも神崎を助けたのはくまさんの謎をこいつに教えてもらうためのはずだったのに、それを忘れてたなんておかしいかも?
「普通はああいうこと簡単にできるもんじゃねぇよな。お前はよっぽど……」
 夏樹はそこで言葉を切る。一瞬、夏樹の目の中で何かの感情が揺れた。すぐにそっぽを向いてしまったためにそれが何なのかオレにはわからなかった。言い淀んだのも普通なら気にしないような短い間のことだ。

「来紗のことが好きなんだろう」

 その台詞を聞いて、オレは重い鉛を呑み込んだような気分になった。
 そうだ、夏樹ってオレが神崎に気があると思い込んでいるんだよな。オレが夏樹の条件を飲んだのは、神崎のためというわけじゃなかったんだけど。むしろその正反対だった。
 この話題にはあまり触れられたくない……。
「それはそうと、くまさんの謎解きをしてくれるのか」
 オレは話をくまさんに移した。すると、

「え、ああ、そうだな……」

 夏樹は落ち着かないように視線を漂わせた。その様子はどこかためらっているかのように見えた。
 気のせいか?
 夏樹の方からくまの謎を教えてくれるって言ってきて、オレはその交換条件を飲んだんだ。今更ためらう必要なんかないはずなのに。
 そしてそのまま何秒かの間を開けてから、
「……わかった」
 と、夏樹は頷いた。今の間はなんだったんだ。こいつの思考回路ってやっぱり読めない。まあ、教えてくれるんならいいけど。

 夏樹は携帯用灰皿を出して、短くなったタバコをそこに押し込んだ。その横顔は無表情だ。こいつは神崎以上に変化がない。顔面筋肉痛にでもなってるのかってくらい、無表情。笑ってる様子なんてもう全然想像がつかないよな。
 そんなことを考えていると、突然夏樹がオレの方を見た。そして、ふと思いついたかのように言った。
「お前、野球部だろ」
「え、そうだけど」
 突然の話題転換に戸惑いながら頷く。
「ポジションどこだよ」
 それを訊かれて重い気持ちになった。

「…………内野」

 オレの微妙な声音の変化に気付いただろうか。
 というか、今の質問の意味は? ただの気まぐれか?
 夏樹は何でもない顔で、「ふーん」と言った。興味なさそうな声だ。じゃあ訊くなよと言いたい。
「で、くまさんの謎の真実だったか?」
 夏樹は2本目のタバコに火をつけながら、話し始めた。


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