「テディベア・ガール」        ⇒NEXT  BACK  TOP
 
 第2章

 夏樹と話をしてから3日が経った。
 その間、夏樹の条件を飲むかどうかで迷っていた。くまさんの謎を教えてくれるというのはいいが、その代わりに提示された条件はかなり面倒臭いものだったんだ。
 そんなことをするくらいなら、自分でその謎を考えた方がマシだ。そう思い、頭をひねらせてみたりもした。

 くまさんは何故、逃げろと言ったのか。

 しかし、どれだけ頭を悩ましてみても、まったく考えはまとまらなかった。オレではまともな答えなんて思いつかない。
 唯一の案が「そのくまさんはただバカなだけじゃなかったのか?」という、考えた方がバカだろと言われてしまいそうな説ぐらいだった。というか、こんなの説にすらなってないよな。やっぱり万年赤点ぎりぎりのオレじゃあ無理だよ、オレの頭には野球しか詰まってないんだし。
 謎なんて解けるわけがない。くまさんの行動なんか知るか。
 と、なると……
 結局は夏樹の条件を飲むしかないんだよなあ、あんまりやりたくないことなんだけど。うーん。どうしよう。やるか、やらないか。決められない。
 とにかく夏樹の言ったことが本当かどうかを確認しようと思った。

 それで放課後の部活が始まる前の時間、クラスの廊下に来ていた。扉についた窓から教室の中を覗く。何人かの女子生徒の姿が見える。その中に神崎がいることを確認した。
 神崎の他には4人の子がいる。女の子たちの顔ぶれを見て、げっと思った。田村理香がいる。
 田村はクラスの中で1番声が大きくて、1番おしゃべりな子だった。そんな子だから自然とクラスの女の子たちをまとめる存在になっている。
 つまり田村を敵に回すことは必然的にクラスの女子の大半を敵に回ということだ。

 やっぱり嫌だなあ……。

 多くの男子がそう思っているように、オレもできる限り女の子たちに嫌われることはしたくない。もうこのまま何もせずに部活に出ようか。
 いや、でもそれだとくまのことを自分で考えなきゃいけないことになる。それもそれで面倒くさいんだよな。
 迷った末、もう少しだけ様子を見てみることにした。
 教室の中にいる女子は全部で5人。でも、正確に言うなら4人と1人だ。それぞれの立ち位置を見ればわかる。4人は固まるようにして立っている。一方、1人でいるのが言うまでもなく神崎である。
 何人かはほうきを持ってるから、掃除をしているだけのように見えるが実はそうじゃない。掃除当番なら机の列ごとにグループが作られてる。男子もいないとおかしいのだ。
 たぶん、本当の掃除当番は神崎と田村だけで、後は田村の取り巻きだろう。男は適当な理由をつけて追い出されたか、掃除自体は終わってるのだがその後で残っているだけかのどちらかだと思う。

 で、この女の子たちがいったい何をしているのかってことだけど。

 ただ話しているだけじゃないってことは、パッと見でわかる。これはそんな穏やかな光景じゃない。
 田村たちの口元に浮かんでいるのは嘲笑だった。神崎に向かって何かを言っている。扉に阻まれて断片は聞き取れるけど、何を言ってるのかまではよくわからない。それでも、だいたいの見当はついた。神崎が女子たちと折り合いが悪いのは知っているからだ。
 しかし、神崎はあまり傷付いたりしているようには見えなかった。むしろ、涼しい顔で女子たちを見返していた。冷ややかな目線だ。何を言われてるのかは知らないけど、神崎は全然気にしてないように見える。

 おい、夏樹……本当にこれはどうしてもやらなきゃいけないことなのか? そもそも何でこんな条件なんだよ。夏樹って神崎に何か関係しているのか。やっぱりあいつは謎だ。くまさん並みに。いや、それ以上に。
 女子の1人が何かを言っている。まず田村が笑って、みんながそれに追従する。
 神崎はあのうっとおしそうな表情をした。そして眼光鋭く女子たちを睨んだ。
 その視線の強さに女の子たちは怯んで、神崎から1歩離れる。もし1対1だったら神崎の迫力に気圧されてこれ以上は何もできなかっただろう。
 だけど、田村たちは集団でいた。1人ではなくグループでいることの強みがある。
 神崎はそのまま教室を出ようとした。

 が、その時。

 突然、神崎の身体ががくっと揺れ、前へと倒れ込んだ。ただ転んだわけじゃない。ほうきの柄でひっかけられて転ばされたんだ。
 さすがに見ていて不快になった。自分が田村たちに加担しているような気持ちになる。見て見ないフリをするのもいじめと同じ、か。
 オレはポケットに手を突っ込んで、その中に入っていたボールを握りながら考えた。
 どうするかな……行くか、行かないか。
 机が邪魔で神崎の姿が見えない。あの強気な神崎ならすぐに立ち上がるだろうと思っていたが、神崎はそのまま中々姿を見せなかった。
 あれ、どうしたんだ。段々不安になってきた。

 どうして、立ち上がらないんだよ……?

 そーいえば、よく体育の授業を見学している。
 本当に身体が弱いんだとしたら、もしかして立たないんじゃなくて、立てないのか? そのまま10秒は経過した。神崎はまだ倒れたままだ。
 女子たちは未だに嘲笑を浮かべながら神崎を見下している。ちょっとこれ、やばいんじゃないか?
 そう思った途端、迷いはすっかり消えて、というかもう何も考えられなくなって、オレは教室の扉を開けていた。
 視線が集まる。特に田村側の視線が痛い。オレのことを忘れ物でも取りに来たヤツだと思っているようだ。物言わぬ視線が早くここから立ち去れと語っている。

「何してるんだよ」

 そんな田村たちにオレは言った。
 女子たちは驚いたように顔を見合わせた。オレがこの状況に首を突っ込んでくるとは思ってなかったのだろう。そして、誰が見てもこの場の状況は明白だったので、女子たちは答えに窮して黙った。
「べっつにー」
 答えたのはやっぱり、リーダー格である田村だ。
 それが引き金となって女の子たちは喋り出した。
「そうじしてるだけじゃん」
「そうそう、そしたらいきなり神崎さんが転んじゃったからさ、どうしたのかなーって」
 転ばした本人が堂々とそう言うのだから、白々しい……。
 田村たちを無視して、オレは教室の中へと入っていった。数歩進むと、神崎の白い顔が見えた。手を床についた姿勢でいる。やっぱりつらそうだ。頬が青い。近くに寄ると苦しそうな表情をしているのがよくわかる。

「神崎」

 呼びかけるとゆっくりと顔を上げた。
 堪えるように唇を結んでいる。とても友好的とは思えない鋭い眼差し。アーモンド型の大きな目が野性のネコを彷彿させた。相手を警戒してその真意を計ろうとしている。そして自分の隙を一切見せないように強がっている。
 ただでさえ白い頬が、魚の腹のように真っ白になっていた。具合が悪そうだ。めまいでも起こしているのかもしれない。
「大丈夫か」
 手を差し伸べる。神崎はオレを見ていた。いや、睨んでいた。目のふちが赤くなっている。

「うるさい」

 神崎はオレの手を振り払った。女子たちがくすくすと笑い声を上げる。その笑い方が耳障りに聞こえた。神崎の声は、その態度に反してか細いものだった。
 それでも必死に虚勢を張って弱みを見せまいとしている。オレなんかに頼りたくないという思いがその瞳から強い意思としてあふれていた。
 神崎はプライドが高いんだ。こんな姿は誰にも見られたくないし、それで同情なんかもっとされたくないのだろう。
 おい、夏樹。味方をしてやるだけで良いって言ってたよな? けど、本人はそんなことされても全く嬉しくないみたいだぞ。むしろ憎しみに近い激情をたたえた目でこちらを睨みつけてくる。

 味方してやれってオレはどうすれば良いんだよ……。

 一方、田村たちは神崎に拒まれたオレを見て嘲笑を浮かべている。神崎の苦々しい視線と田村たちのあざ笑うかのような視線に挟まれるオレ。非常に居心地が悪い。
 本当はこのまま教室を出てしまいたかったが、それをしたら自分はとんでもなく薄情な人間に思えるし、神崎にも田村たちにも馬鹿にされそうだ。
 とにかく、この場を治めるには神崎か田村のどちらかをここから離れさせてしまえば良いんだろ。根本的な解決にはならないけど、今はそうやってフタをしてしまう方が早い。
 オレは神崎をここから連れ出すことにした。

「話があるんだよ」

 神崎に向かって言う。こいつを引っ張りだすための理由と言ったらもうこれしかないだろう。
 神崎がオレを見る目が変わった。まず怪訝な顔をしてから、次に何を考えてるのかよくわからない表情をした。透明な眼差しだ。
 再度、手を伸ばしてみる。神崎は素直につかまってきた。
 びっくりするくらいに冷たい手だった。これ、ちゃんと血が通ってるんだろうかと訝った。
 貧血気味なのかもしれない。そのまま神崎を引っ張って立たせる。
「じゃあ行くか」
 神崎に声をかけたつもりだったのだが、神崎は肯定も否定もしない。ただオレをちらっと見た。
 その瞳からは先程の憎しみに近い激情は綺麗に消えている。
 オレはそれを肯定のしるしであると好意的に解釈することにして、教室を出ようとした。
 すると、その前に田村が立ちはだかった。

「ちょっと、あんた何のつもり?」

 さすが女ボスなだけあって迫力がちがう。腕を組んで、ことさら相手を威圧するような大きな声を出す。
 田村は女子にしては上背があって、男として平均並みの身長であるオレと目線の高さが同じだった。
「――どけよ」
 ここでちょっとでもひるんだら、負ける。だからとがった口調で言ってやった。田村は憤怒に顔を赤くしたが、オレがそこを通ろうとすると気遅れて道を開けた。
 後ろから神崎が大人しくついてくる気配がする。
 神崎とともに教室を出て扉を閉める。廊下に出ると、思わずため息が出た。
 上手くいったという安堵感とこれで田村と敵対してしまったなという憂鬱感によるものだった。
 というか、何でオレ神崎のためにこんなことしてるんだろう。ほんの意趣返しのためにその相手を助けるってやっぱりおかしいよな……だんだん、目的と手段が入れ代わっているような気がしてきた。
 教室からは腹いせに田村たちがオレを非難する声が聞こえてくる。

「何あれ、ウザいんですけど!」
「あれで救った気にでもなってるんじゃないのー」
「ヒーロー気取ってるわけ?」

 うわ、何かへこむ。
 オレ、明日になったらクラスの女子の半分くらいから嫌われてるようになってるんじゃないか。
 聞いていて気分のいいもんじゃないので、すぐにここから離れることにした。歩き出すと神崎も1歩遅れてついてきた。ちらっと見てみるとその顔には何の感情も浮かんでいない。全くの無表情だ。もちろん、オレへの感謝の念なんて欠片もない。
 まあ、別にいいけどさ。
 神崎がいきなり殊勝な態度をとったりしたら戸惑う。
 それよりなおも青白い顔をしていることが気になった。具合は良くなさそうだ。普通なら保健室に行くことを勧めるべきかもしれないが、そういう気になれなかった。本当に具合が悪いなら神崎が自分で何とかするだろう。
 それにみっともないことだけど、オレの中にはこうなったのは神崎のせいだと考えている自分がいたんだ。

 歩いている間、神崎はずっと無言だった。何を考えているのかわからない。オレも自分から話しかけたりはしない。
 2人して沈黙を保ったまま、階段の所まで来た。
 校舎内には3つ階段があって、中央に1つと並んだ教室の端にそれぞれ1つずつ設置されている。オレたちが来たのは1年の教室の端にある階段だ。大抵みんな中央階段を通るし、今は放課後なのでそこには誰もいなかった。
「で……」
 神崎はオレを見てようやく口を開く。

「謎、解けたの?」

「ああ、うん、えっと……」
 解けてるわけがない。あれは神崎をあの場から連れ出すための口実だ。
 仕方がないので、「くまさんはバカなだけだったんじゃないのか説(説とも呼べない)」を話してみた。
 神崎にバカにされるだけだと思うけど……。
 しかし神崎は予想に反して真面目な顔で言った。
「あ、そういう説、多いみたいだね」
「え? そうなのか?」
「うん」
 と、神崎は頷いて解説し出した。森のくまさん講座だ。

 ――くまは初めはおじょうさんを襲おうとしたんだけど、おじょうさんが可愛かったからか、それともかわいそうになったからか、いずれにしても、くまはいったんおじょうさんを逃がすの。
 けどそのくせ落とし物を見た瞬間に、自分が『お逃げなさい』と言ったのにも関らず、それを届けようと追いかける。
 また、おじょうさんの方もイヤリングを受け取ると、襲われそうになったことを忘れて、お礼を言う。しかも歌付きで。ふつうは逃げるよね。だからおじょうさんもバカだったってこと。くまさんもおじょうさんもどっちもバカ。

 その説明に淀みはない。きっと何度も考えたことなのだろう。
 オレは驚いていた。一生懸命に話す神崎の姿は子供みたいだった。変な子だなと思った。
 くまさんについてこんなに詳しく語れる女子高生なんて、どの世界を探しても神崎くらいしかいないんじゃないか。
 そしてそんな神崎を見ているうちに先程の憤りとかはなりを潜めていた。
 その代わりに話を聞いていて閃いたので、

「じゃあ記憶喪失になった、とか」

「え……」
「だから、くまさんはおじょうさんに『逃げなさい』って言った後、すべって転んで頭を強打して記憶がとんじゃうんだよ。それで、そこに落ちているイヤリングに気付いて、お、これはあの子の落し物じゃないかと……」
「バカじゃないの」
 ああ、やっぱり今度はバカって言われた。
「あのね、ふつうは歌詞に書かれていないことは物語の中でも起こってないと考えるべきなんだよ。大きなアクションがあれば、必ずそれは歌詞の中にも出てくるんだから」
 ……なるほど。
 あ、じゃあそれなら。
「くまさんが実は2人いたってのはどうだ?」
「それもない。だから、もしそうなら歌詞にちゃんと書かれてるはずなんだってば」
 うーん、そういうもんなのか?
 難しいな……。

「もしかしてくまさんは二重人格者だったんじゃ――」
「んなわけないでしょ!」

 あっさり否定。オレの頭で考え付く説なんてそんなもんだった。
 神崎はそれからもオレが新しい説を出すのを待っていたみたいだが、あいにくそれ以上は思い付かない。
 しばらくの沈黙。そして神埼もそれ以上の説はないということをを理解したらしく、ゆっくりと階段を上がって行ってしまう。
 そのままどこかに行くのかと思ったら、踊り場で止まった。そこにある窓から外を見ている。

「どうしてそんなにくまにこだわってるんだ?」

 オレはその背に訊いてみた。
「たかが童謡だろ。そこまでおかしな謎ってわけでもないしさ。何か知らなきゃいけない理由でもあるのか」
「理由……」
 神崎は呟いた。
 オレの方をちらっと見て目を逸らす。何かを考えているようだ。
 外から差し込んでくる日差しが、その髪の上でゆらゆらと揺れている。それにしても綺麗な髪だ。その1筋1筋が太陽の光を浴びて茶色がかって見える。
 神崎はしばらく黙ったままだった。そして、オレの方に視線を戻して今度は2秒くらい見てから、また目を逸らした。

「ただ知りたいだけだって言ったら……ヘンかな」

 訊かれて、オレはさほど深く考えずに答えた。
「うん、何か変だ」
「そっか」
 神崎は頷いてくり返した。
「……そうだよね」

 少しだけ、ドキッとした。そう言った神崎の表情が、すごく淋しげなものだったからだ。

 そんな顔を見ていると、何故だか悪いことをしている気持ちになった。今度はこちらから目を逸らした。
「オレ、そろそろ部活だから行くな」
「ん……」
 1度背を向けて行こうとしたが、神崎のことが気になって振り向いてみた。神崎はまだ窓の外を見ている。その場から動かない。
 どうしたんだ、いつものように図書室には行かないんだろうか。頭にさっきの淋しげな表情がちらついた。
「神崎?」
 訊いてみる。
「帰らないのか」
 神崎はこちらを振り向いて、

「かばん」

 ぽつりと言った。もういつもの無表情に戻っている。
「教室にある」
 そこでオレは理解した。神崎は取りに行きたくないんだ。まださっきの女子たちが教室に残っているからかもしれないだろう。
 その時、オレは自分でも何を考えているのかよくわからなかった。ただ何となく、くまさんについて語っていた神崎の子供みたいな顔や、ちらりと見せた淋しげな表情のことを考えた。
 そしたら、何となく教室の前まで来ていた。だからその中に入って、神崎の席にあるカバンを取った。田村たちはもういなくなっていた。
 それで階段のところに戻って神崎の名前を呼んだ。
 神崎は驚いた顔をしていた。
 鞄を渡すときに少し指先が触れた。やっぱりその手はずいぶんと冷たかった。
 今度こそオレは部室に向かうことにした。すると神崎が呼び止めてきた。

「工藤……」

 またこちらを見て、すぐに目を逸らす。
 そして、
「……何でもない……」
 どう見ても、何かを言いた気なその表情が妙に記憶に残った。
 

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