「テディベア・ガール」        ⇒NEXT  BACK  TOP
 
 第1章

 6時を少し過ぎた時だった。ようやく校舎の中から神崎来紗の姿が現れた。

 辺りにあまり人影はない。神崎のずっと前を、2人の女子生徒がやたらと大きな声で話しながら歩いているだけだ。
 神崎は1人で正門へと向かっていた。
 夏服のスカートにブラウス。通学カバンを肩にかけている。遠いので表情まではわからないが、どうせいつもの仏頂面――この世の全てがつまらないと言わんばかりの顔をしているんだろう。
 運動部が引き上げたグランドは静かだった。冷たい風が誰もいない校庭の土をさらっている。この間までは殺人的に暑かったのに、連休の大雨を皮切りに大分涼しくなった。

 6時とはいえもう暗くて、街頭の光がぼんやりと周囲を照らしている。
 暗闇の中でも神崎の姿ははっきりと見分けられる。見慣れているからなんだろう。
 神崎はふつうよりもちょっと歩くのが遅かった。それでも早く行かなければ追いつけなくなってしまう。オレは部活が終わった後も、校舎から部室練に続く道の途中で神崎のことを待っていたのだった。
 覚悟を決め、手持ちぶさたに上に放っていたボールをポケットへ突っ込む。そして、神崎の後を追った。正門を少しすぎたところで追いつく。偶然会った様子を装って声をかけた。

「神崎、今帰りか。遅いんだな」

 神崎は立ち止まって、ゆっくりとこちらを振り向いた。その白い顔が電灯の明かりによって照らされる。
 真っ直ぐな黒髪は、背中にかかるくらいの長さ。小作りな顔の中ですべてが綺麗に整っている。大きくてぱっちりとした黒目。うす桃色の唇。白くて木目細かな肌。
 あまり驚いた様子はないが、うっとうしそうにしている。
 神崎はこちらを見上げて、言った。

「工藤」

 自分の名前を覚えられていたことに驚いた。こうやって話をするのは初めてのことなのだ。
 え、まさかばれてるのか、と瞬間不安になって、いやしかしそんなことはないよなと自分を納得させる。あの時とは名字が変わっているんだ。工藤なんてどこにでもある名前だし、気付かれることはないはずだ。

 そもそもオレは1ヶ月に転校してきたばかりで、その時クラス全員の前で自己紹介もしている。だからオレの名前を知っていてもおかしくはないわけだ。正体がばれているわけじゃない。
 よし、大丈夫だ。
 だからとりあえず、当たり障りのないことを尋ねてみることにした。

「こんな時間まで何してたんだよ」

 訊いてはみたが、実はその理由をオレは知っていた。
 神崎はいつも遅くまで図書室で勉強をしている。それを知っていたからこそ、こうやって神崎のことを待っていたんだ。
 神崎はこちらをじっと見つめていた。その瞳は昼間見るのとはちがう輝きを放っていた。
 夜の帳の中、辺りの闇とは明らかに質の異なる不思議な色だ。
 完全な黒じゃない。青が少し混じっているような黒。不思議な色だった。まるでこちらの心を見透かそうとしているような、真っ直ぐな視線。
 そんな目で見られると落ち着かない。
 やがて、神崎は口を開いた。

「どうしてそれをキミに教えなくちゃいけないの」

 鋭い口先だった。はっきりと嫌悪まで露にして、ぴしゃりとはねつけるように言う。
 う……そんな風に言われるとは思ってもみなかった。ふつうに何気なく訊いただけじゃないか。
 オレが何かまずいことを言ってしまったというわけではない。神崎はこういうヤツなんだ。はっきりしているというか、気が強いというか、毒舌というか。聞いた話によるとどうも男が嫌いらしい。

 気まずい沈黙が訪れる。

 いや、神崎の方は気まずいなんて思ってないだろうけど。
 それを証拠にもう話は終わったとばかりに、神崎は背を向けてすたすたと行ってしまう。その背中からは、これ以上話しかけるなオーラまで出ている。
 でも、このままでは困るんだ。訊きたいことがあるのに。
 オレは必死で会話の接ぎ穂を探して、神崎の背に話しかけた。
「どうしてって言われても。何となくだよ。もうとっくに部活も終わってる時間だろ、だからどうしたのかと思って」
 神崎は反応しない。まるっきり無視だ。
「あのさ、神崎……?」
 恐る恐る呼びかけてみる。すると、振り返りもしないで神崎はぴしゃりと言った。

「うるさい」

 ものすごく刺々しい口調だ。
「用がないなら話しかけるな」
 ふつうに喋ってれば可愛いんだろうなという声で、吐き捨てるように言う。
 そーいえば噂話で、男と言い争って相手を泣かせたことがあるとか何とか聞いたことがあった。ただの噂だろうと思っていたが意外に事実なのかも。ここまできっぱり言われると取り付く島もない。
 どうしてこんなに邪険にされなきゃいけないんだろう……。
 その偉そうな態度にムカッときたが、その気持ちを押さえ込む。
 神崎に下らないことを話しても意味はないみたいだ。これは直接的に言った方がよさそうだな。

「ちょっと待った、用ならある」

 そう言うと神崎は振り返ってくれた。相変わらず、うっとうしそうな顔のままだったけど。
 その渋面に尋ねる。
「くまさんの話は本気なのか?」
 神崎はこちらの真意を測ろうとでもしているみたいに、オレをじっと見る。そして頷いた。
「本気」
 きっぱりと言う。オレは重ねて尋ねた。

「くまの謎を解いたヤツと付き合うって言ってるって」

「うん」
 真面目な顔でもう1度神崎は頷く。
 さっきまでの機嫌の悪そうな様子はなくなっている。その目には確かに真剣な光が宿っていた。
 だから、オレもこれは冗談なんかじゃなくて、本気なんだってことをわかってもらうために、真面目に言った。

「じゃあオレがその謎をとく。絶対に」

 今の話の流れから言って、これは告白……になるんだろうな。変わった告白もあったもんだが。
 でも、勘違いしないでほしい。
 オレは神崎来紗のことが好きなわけじゃない。

 むしろ嫌いだった。すごく嫌いだ。


 *

 神埼来紗は、良い意味でも悪い意味でも有名だった。学校中で知らないヤツはいないくらいに。
 まずものすごく美人だ。10人に聞けば10人ともが「すげぇ可愛い」と評するような顔立ちをしている。そこにいるだけですごく存在感があるのだ。誰もが振り返ってまで見ずにはいられないくらいに。
 そしてそれだけじゃなくて、神崎は変な奴だった。その歯に絹を着せない物言いと他人を突き放したような態度で、誰も近づけようとしない。

 特に男子には容赦なしだ。何しろあの外見だからけっこうな数の奴が告白をして、同じ数だけ玉砕していったらしい。その時の断り文句はみな同じだったとか。「興味ない、帰れ」だ。
 女子に対してはそこまで露骨にきついことを言わないものの、冷たい態度は変わらない。男に人気があることもあって神崎は女子からとことん嫌われているのだった。ぞっとするような陰口を叩かれてるのを聞いたこともある。

 そんなわけで神崎はクラスの中でかなり浮いていた。友達はいない。話をする相手もいない。いつも1人でいるのだ。それも神崎自身はあまり苦痛に感じていないようだったが。むしろ仲の良い同士で固まっている他の女子たちよりも、ずっと堂々として見える。
 でもまあ、もしそれだけだったら、どこのクラスにも1人か2人くらいはいる、ただ協調性のないだけな子だったろう。神崎が本当に変なのはある発言をしているからなんだ。

 曰く「森のくまさんの謎を解けた人となら付き合ってあげてもいい」と。

 始めそれを聞いたとき、何かの冗談なのかと思った。
 だって、そうだろ?
 自分と付き合うために条件を出すって、かぐや姫じゃないんだから。何を考えているんだか。そもそもその条件からしておかしい。「森のくまさん」? その謎を解け? まず、その謎っていうのが意味不明だ。
 9月の初めからここに転校して来たオレは、ずっと前から神崎がそんなおかしなことを言っていたのかと思ったが、どうもそれはちがうらしい。神崎がそれを言い出したのは夏休みが終わってからだとか。
 まあどっちにしろ、オレは神崎の言ってることを本気にするヤツなんていないだろう、と思っていた。

 だけど。

 それが案外にいるのだった。それも不特定多数。中には割りと真剣になっているヤツなんかもいるみたいだった。ろうかを歩いているだけで「くまさんが……くまさんが……ぶつぶつ」と言いながら歩いてるヤツを見かけたり、授業中に「おじょうさんが……おじょうさんが……ぶつぶつ」と言いながら何かを一心にノートに書き殴っているヤツがいたりとするのだ。
 どんな学校だよここは。何かのいけない宗教みたいだ。てか、怖い。

 それほど神崎が、美人で人気があるということなのかもしれない。
 オレには必死になってくまさんなんかの謎を解こうとしているヤツの気がしれないけど。そうまでして可愛い子と付き合ってみたいんだろうか。いや、それは可愛いことに越したことはないけどさ。

 それでも神崎は中身の性格がサイアクじゃないか。やってることの意味がわからないし、気が強いし、生意気だし、ムダに偉そうにしているし。性格は本当に可愛くない。
オレは普通ならそんな変なヤツは心の片隅にでもおいておくくらいで、それ以上気にも留めなかったろう。
 ましてや、「森のくまさん」なんてフザケタものに付き合ってる暇もない。何より部活を優先して来たオレにとって、他のことにかまけてる余裕なんてなかったんだ。
 そう、そんなことを言っているのが「神崎来紗」以外の女だったなら、どうでもよかったんだ。神崎以外だったら……。

 しかし、相手は他でもないあの神崎だった。

 この学校に神崎がいると知った時は驚いた。
 まさか、と思った。あの時の関係者とこんな所で会うなんて思いもしてなかった。
 神崎とは少し昔、ある出来事のせいで関わりがある。それは神崎自身との関わりではなかったが、オレが神崎に良い印象を持っていないということに変わりはなかった。むしろ見るだけであのことを思い出してしまうから、やっぱり嫌っているという方が正しい。
 神崎のこと、あの時からずっと忘れたことはなかった。

 それは、復讐、なんて言葉を使うと少し大袈裟すぎてしまうかもしれない。そんな大層なことではなくて、これはほんの軽い意趣返しだった。オレから神崎への。
 今更こんなことをして過去のことが消えるわけではないけれど。ただの自己満足なのかもしれないけど。
 それでも。

 オレはそういった自分の目的のために、神崎のことが好きなわけでもないのに、森のくまさんの謎を解くことに決めたんだ。


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